学生と地域の出会い 〜人生の岐路で得られたものとは〜

学生と地域の出会い ~人生の岐路で得られたものとは~

文・写真:末本圭子

今宿プロジェクトメンバーとして活動してきた2人の大学生が今春卒業し、今宿での活動を離れます。今宿での活動をふりかえり、今、どんな思いをもっているのか、卒業を前に改めて話を聞きました。

石田匠さん

今宿田んぼアートの田植えに参加

石田匠さん(九州大学大学院航空宇宙工学専攻)は、九大の科学教室のメンバーたちとともに、今宿小学校で、「ブーメラン教室」「顕微鏡教室」を開催しました。また、上ノ原の山口喜久雄さんと一緒に天体観望会を2度開き、今宿の多くの子どもたちに科学への関心を広げるきっかけを作ってくれました。

服藤さん

FMラジオの収録(今宿プロジェクトが紹介されました)左端が服藤さん

服藤悠一郎さん(九州大学法学部4年)は、日本中の鉄道を完乗しようと旅を続ける鉄道オタク。交通政策にも関心があり、コミュニティバスなぎさ号の利用状況の聞き取り調査をしたり、今宿を巡るバスツアーの企画・運営に活躍してくれました。

ー服藤さん、今宿で活動するようになったきっかけと印象に残っていることは?

服藤 きっかけは、(運営が厳しい)コミュニティバスなぎさ号から始まりました。今宿を知るために地域の人と交流し、だんだん今宿に住む人たちに愛着を感じるようになりました。

 そもそも必要とされているバスなのかを確認したいと思いました。アンケートとって、インタビューして、その中で、「今宿に住み続けたい、そのためには移動する足が必要だ」という住民の声が伝わりました。なぎさ号に乗って利用者の声がを聞き、運行する姪浜タクシーの社長から今宿の生活の足であるなぎさ号を守りたいという思いを聞き、それぞれの思いがつながっていると感じました。

上ノ原で取材(中央が服藤さん) 姪浜タクシーの岩本社長を取材(左 服藤さん)

末本 他にも、バス旅、まち歩きの企画にも関わりましたね。

バス旅で長垂海岸へ 案内は大内士郎さん (2022年)
今宿上ノ原でまちあるき(2021年)

ー石田さんが今宿プロジェクトと関わるきっかけは?  

石田 iTOP (*)の仲間に誘われて関わるようになりました。気づいたら今宿に住むというかけがえのない経験をしました。
  
 (*)iTOPは、糸島市で地域と学生をつなぐまちづくりに取り組む学生団体

末本 石田さんの科学教室は大好評でしたね!

iTOPのメンバーと 右端が石田さん
ブーメラン作りに寄り添う石田さん
ブーメランの仕組みをわかりやすく説明して、デモンストレーションをする石田さん

ー糸島を含め、地域でいろんな人と会っているけど、今宿の印象は?

左 石田さん   右 服藤さん       今宿 横浜のウィンドファームにて

石田 科学教室を開催するきっかけを作ってくれた人との出会いは大きいです。「いいね、おもしろいね」と肯定から入る方で、生き生き生きる大人の理想像に見えました。

服藤 今宿では、自分のテーマを何かしら明確に持っている人に出会ったという印象です。たとえば田んぼアートなど、自分らしさを表現する場がある、自分のストーリーを持っていられる場がある、それが今宿なのかと思います。

末本 ふだん寡黙な地域の人が、大学生を前に饒舌に語るのが印象的でした。若い人に伝えたい気持ちが溢れていました。外からの人が関わる意味は、こういうことかと思いました。

ー活動を通して、何か感じていることは?

石田 大都市圏の大学に行っていたら、たぶん就活に全力を注いでいたと思います。企業で働く大人としか会わなかったかもしれません。周りにいる学生も、いい会社に入るためにどう動くか、そこに学生時代の時間を割いていたと思います。
 受験が終わって間もない10代の終わりに、今宿で自分らしさの軸をしっかりもち、哲学をもって生きている大人に出会ったことは、自分の進路選択に、影響を受けたと感じます。

末本 いろんな大人をみてきたことが、今の就職や生き方に少し影響したということ?

石田 服藤 かなりというか、完全に影響されました(きっぱり!)

今宿のまちあるきで上ノ原のお宅を訪問 ものづくりを楽しむ暮らしに触れる (左端 服藤さん)

服藤 人口減の中で地域活性を考える時、地域同士が人の取り合いをすることになります。今住んでいる人がそこに住みたいと思わなければ、人は流出していきます。今宿での活動に関わる中で、特定の地域でエネルギーを注ぎたいと思いました。それが自分の中で整理されて、学者の道ではなく、行政の道に進もうと思いました。それも政府ではなくて、自治体です。

末本 直接、人の存在を感じられるところ?

服藤 エンドユーザーが見えているだけでなく、土地に根ざしていることが自分にとって重要と気づきました。一人一人の個性と土地は不可分になっています。少々難しいことであっても、それを守りたいなと思いました。

末本 そんな目線で見ると、たとえば獅子舞を続けていることの豊かさがわかる気がします。そこに時間をかけることの豊かさ。
 
末本 土地に根ざして、地域で暮らしている人に、行政として関わりたい?

服藤 行政として励ます立場で関わりたいです。大学に入った頃、人に共感されなくても自分だけのテーマを作って、学者にならなければならないと思っていました。でも地域に関わり、いろいろな人に会って、共感できるものがあることはいいなと思えました。共感できることは幸せと気づきました。

服藤 学問として学ぶのは、因果関係のロジックの世界だけど、最後にくる生きる目的は、幸せになることだと先生に教えられました。「生きる目的を忘れないように」というのは、大事なアドバイスでした。

石田 進路の選択肢を提示するってすごい先生!専門を高めていくだけじゃない世界があること、合理性だけではないということを言ってくれたんだね。

赤米や黒米など植え分けて、秋には田んぼアートになる   貴重な体験に参加した石田さん

石田 いろいろな価値が混じり合う中で大学生活を過ごせました。今から必要とされる最新の航空技術を学べたことは魅力的でしたが、それと同時に技術の対極にあるもの、心を豊かにする術と接することができました。その両方の価値を知り、結果として地方で暮らしたいと思うきっかけを得られました。

末本 対極にあることを知ることができた、それで自分は研究職ではないなと思って、地方で暮らせる今の仕事を選んだのかな?

石田 その通りです。もともとは、飛行機を作りたい一心で大学に入りました。でも飛行機を作るよりも、自分の生活にフォーカスしていきたいと思うようになりました。

末本 でも志はまたどこかで生きてくるだろうし。

石田 絶対どこかで、関わり合うと思います。選んだのは空に関わる職業だし、友だちが作ったものを、自分はその技術を運用する立場で働きます。空への夢は全然捨ててないし、今も空への夢を追いかけまくってます。

末本 地域に関わったから何か得することがあるとか何もない中で、「なんかわからないけど おもしろそう」「力になれることがあるなら」と損得抜きで関わってきたのはすごいと思います!その分、得るものがあるといいなと願うけど、活動するそれぞれが気づいていくものなので、これが得られますよ、とは言えないなあ…。みんなは、それぞれの活動経験から、自分なりの意味を見つけていったんだね!

末本 どんな人に会うかって、大きいね。

石田 人生の岐路に立っていた時の出会いは大きいです!

服藤 進路形成には、ガチで地域の人との出会いは影響してるね。

石田 まちがいなく。

末本 みんなの後輩には、今宿、おもしろそうと思ってもらえたらいいです。学生時代だからできる経験のひとつのフィールドとして。遠くに行っても、みんなと今宿の縁がこれからも続くことを願っています。

空への情熱は世代を超えて

空への情熱は世代を超えて

写真=末本圭子 文=石田匠

日本記録の樹立、そして激動の時代へ

10月から連続テレビ小説「舞いあがれ!」が始まりましたね。福原遥演じるヒロインが空に憧れ、パイロットを目指すストーリーです。今宿のおとなり徳永にも、空に魅せられた方がいるのをご存知ですか?九州航空宇宙協会の副会長を務める前田建さん(82)にお話を伺うと、そこには時代の波に翻弄されながらも親子二代に渡って飛行機製作に没頭した父と子の、知られざる情熱の物語がありました。

父:前田建一氏は明治36年に福岡市内に生まれました。小学生の頃から当時まだ珍しかった飛行機に夢を抱き、翼をつけた自転車で立ち木に衝突したというエピソードも。当時九州帝国大学工学部の学生だった佐藤博九大航空名誉教授と出会い、意気投合した2人は「九州航空会(現:九州航空宇宙協会)」を設立し、空に夢を抱く若者たちと共にグライダー製作の道を歩み始めます。

グライダーとは動力を持たない飛行機であり、トビのように上昇気流を捕まえて空を舞います。長く飛ぶためには設計に極限の工夫が求められ、前田氏を虜にしました。圧倒的な熱量をもって設計した「前田式703型」は昭和16年に13時間41分飛行し、飛行時間の日本新記録を樹立しました。しかし純粋な記録への挑戦としての意味合いが強かったグライダーにも、時代の波が押し寄せます。彼らの技術力は陸海軍に評価され、軍需産業の一端を担います。現在九州航空宇宙協会の工房がある徳永で作られたグライダーは、新米操縦士が戦闘機に乗る前の訓練機や、戦地での輸送手段として用いられました。飛行機工場の隣には元岡飛行場があり、操縦訓練や試験飛行に使われていたそうです。

前田式703号

戦後、晩年は若者たちの空への夢を掻き立てることに尽力しました。心臓が弱りながらも高校生と人力飛行機を製作して世界記録に挑み、昭和44年に初飛行に成功した翌年、この世を去りました。戦前、戦中、戦後と飛行機に求められる役割が大きく変化する中でも追い求め続けた空への熱い想いは、数多くの学生や航空技術者、そして息子:前田建氏に引き継がれる事となります。

受け継がれた空への夢

前田建一氏の息子:建さんは昭和15年に生まれました。少年時代の父が飛行機に自らの夢を託したのとは対照的に、幼い頃の建さんにとって飛行機は戦争の道具でした。昭和20年の福岡大空襲の時に、戦火の中で見上げたアメリカ軍のB-29の姿が脳裏に焼き付いていると言います。程なくして終戦を迎えますが、GHQより航空機の研究や製造を禁止される「航空禁止令」が下され、父の工場の機体や設計図は全て焼き払われてしまいました。

夜明けは昭和26年に訪れます。父は航空禁止令解除と同時に、九大航空学科の教授となった佐藤先生と西日本航空協会を設立し、グライダー製作を再開しました。建さんは父の航空機製作の熱量に圧倒されつつも、作業を手伝ううちに技術が身につきました。その後海洋土木会社に就職した建さんに転機が訪れたのは平成11年の事でした。青森の航空史料館に展示する機体「航研機」の復元作業を手伝って欲しいとの声が掛かったのです。機体を全て金属やカーボンで作るのが主流の現代において、航研機の特徴である布張りの翼を復元できる人は建さんしかおらず、白羽の矢が立ちました。これを契機に、退職後は様々な名機の復元作業に専念します。作業場には空に魅せられた男たちが集い、平成15年には人類初の動力飛行に成功したライト兄弟の「ライトフライヤー号」を復元させます。 

また現在、建さんは子ども達に飛行機の奥深さを伝える活動に取組んでいます。今夏福岡市科学館で開催された「ヒコーキ展」では、主翼のリブという部品を子ども達とつくるワークショップを、3ヶ月に渡って開催しました。と語ります。

ドローンや電動飛行機など空の乗り物は多様化する一方、日本で航空技術者が活躍できる場面は必ずしも多くないのが現状です。空に夢を抱き、飛行機を自分の手で作りたいと思う若者が増えて欲しいと願っています。

前田さん親子が二代に渡って撒いた種が、空を目指す子供達の夢を後押しし、いつの日か彼らの作った飛行機が大空を舞う日が来るといいですね。

自作のリブを持つ前田建さん

KaoiSurfオーナーが語る、今宿の海の魅力とは?

KaoiSurfオーナーが語る、今宿の海の魅力とは?

写真=末本圭子 文=石田匠

1984年のロサンゼルスオリンピックで初めて種目として採用され、2021年の東京オリンピックでも正式種目となったウインドサーフィン。江ノ島や海外で盛んなカルチャーと思われがちですが、今宿の海でも天候の良い日には颯爽と海上を駆け抜けるウインドサーファーを見つけることができます。今回は、今宿の海辺に店舗を構える「KaoiSurf(カオイサーフ)」代表の帆足明(ほあしあきら)さんに、今宿のウインドサーフィン事情や、ウインドサーフィンの魅力を聞いてきました。

ウインドサーフィンとの出会い。

ウインドサーフィン(以下、WSF)とは帆のついたサーフボードに乗り、風を使って水面を走るマリンスポーツです。帆足さんが初めてWSFと出会ったのは、高校1年生の時。道具一式を知人から10万円で譲って貰えることになり、決して安くない金額ですが「面白そうなことにチャレンジしてみたい!」という気持ちで購入を決めたそうです。

今宿には当時からマリンスポーツのお店があり、福津市などと並んで福岡のWSF文化の中心地でした。週末は自宅から今宿の海に通い、WSFにのめり込むようになります。高校卒業後も空いている時間を全てWSFに費やすため、ショップのオーナーのもとでアルバイトをしながら海に出る日々を送り、コンテストにも出場するようになります。

お店の前に広がる博多湾

プロ選手を諦め、サーフショップ経営の道へ。

全国各地の大きい大会に出場し、結果を残すようになった帆足さん。21歳の時には与論島に渡り、スキルアップを目指して修行したそうです。しかし、プロ選手を目指す中で限界を感じるようになっていたと言います。

どんなマイナースポーツでも、上には上がいます。プロ選手になるのはちょっと違うかな、と考えるようになりました。

そこで、自身が選手として活躍するのではなく、ビジネスとしてWSFに関わる道を目指します。今宿で道具販売やインストラクターに従事したのちに、店舗経営を引き継ぎ独立しました。

ウインドサーフィンの魅力を、より多くの人に。

帆足さんが「KaoiSurf」を独立開業してから18年が経ち、同じ建物の中でサーフショップ以外にもテイクアウトバーガーショップ、レンタサイクル店も経営しています。また今宿花火大会の日には隣の駐車場でライブイベントを企画するなど、今宿のビーチサイドを盛り上げる中心的存在になりました。最近では、ボードの上でヨガをするサップヨガも企画しています。新たにお店を訪れるお客さんの数も、九州大学伊都キャンパスの移転に伴って増えたと言います。

今宿・九大学研都市エリアの発展に伴い、お客さんもお店の近くに住む人が増えました。自宅から海が近いと、1日の始めに海に出てから仕事に向かうなど、マリンスポーツを趣味からライフスタイルの一部にすることができます。そんな価値観を広めていきたいです。

KaoiSurfの外観

また帆足さんは指導者としての一面もあります。新しくWSFを始める方にレッスンすることはもちろん、福岡県のタレント発掘事業で選ばれた子どもたちの受け入れも担当されており、多くの子どもたちが選手として活躍する日を夢見て今宿の海で腕を磨いています。

子どもの時にスポーツに打ち込んだ経験は、大人になってから大きな意味を持つと考えています。WSFと真摯に向き合った日々に価値があったと振り返られるような経験を積んでほしいという思いで、ユース世代を指導しています。

WSFの楽しみ方は人それぞれ。競技として技を極める以外にも老若男女が楽しめる生涯スポーツであり、風を読み自然との一体感を味わいながら海上を滑る爽快感はWSFならではの大きな魅力です。今宿は湾内で波も低く、安全にWSFを楽しめるため、初心者の方にもぴったりのフィールドです。まずは、お手軽なSUPから始めてみるのもおすすめだそうです。体験も行っているので、マリンスポーツに興味がある方は、是非「KaoiSurf」に足を運んでみてはいかがでしょうか?

KaoiSurf代表 帆足明さん

『今宿いにしえのあかり』3年ぶりの開催に向けて-青木竹灯籠の会の軌跡

『今宿いにしえのあかり』3年ぶりの開催に向けて-青木竹灯籠の会の軌跡

文=シバタリカ 写真=末本圭子

ここ数年、コロナ禍で開催が見送られていたけれど、秋は灯りのイベントが目白押し!

などなど。

 実は、規模は小さいけれど、我が街今宿でも素晴らしい灯りイベントがあるのです。
 それは、


『今宿いにしえのあかり』

ポスター

 今宿公民館と今宿校区自治協議会との共同主催で、2022年10月15日(土)に開催が予定されています。
 今回は会場の大塚古墳のふもとで竹灯籠を設置する『青木竹灯籠の会』の皆さんが、開催に向けて竹灯籠の点検をしている場にお邪魔して、お話を伺いました。

 『青木竹灯籠の会』は今宿青木に住む有志で2011年に結成されました。毎年8月に開催される『青木盆踊り』の会場入り口(今宿青木公園)が暗く、そこを灯篭で明るく照らせないか、という考えのもと、竹灯篭を設置したのがきっかけだそうです。
 その後、前述の『千年あかり』や『みずあかり』を観覧し、作品の美しさに心を打たれ、回を重ねるごとに作品のレベルも上がっていきました。

 こちらの富士山は、竹を12本連結した、高さ180cmの大作。ろうそくではなくLEDライトを用いて青や赤の花火を演出します。


 製作者の一人の梶原さんは苦労した点についてこう語ってくれました。

「A4のコピー用紙に書いた図案もとに型紙を作った。理論上は単に拡大すればいいやと考えていたが、A3のコピー用紙を2、30枚も使って印刷してから貼り合わせることになり大変だった。」


 竹に直接フリーハンドで富士山を描いたかと思いきや、綿密な計算の上で制作しているのですね。もちろん、ろうそくの設置位置も、デザインした作品が綺麗に照らされる様に計算して、竹をカットしています。ちなみに、材料である竹は、区内の竹林から伐採しています。

 さいごに、青木竹灯籠の会のメンバーでもある今宿公民館の古川館長より、『今宿いにしえのあかり』開催への思いを語っていただきました。

「3年ぶりの開催で、会場である大塚古墳公園のお披露目も兼ねています。整備された公園を知ってもらうのはもちろん、『今宿いにしえのあかり』が地域の人たちが交流する橋渡しになればと思っています。10月15日は、ぜひ1人でも多くの人に足を運んでいただきたいです。」

 近年は、新型コロナ感染拡大や天候不良等で活動を自粛せざるを得ない時期が続き、高齢を理由に会を辞める方もいらっしゃったそうです。今回の『今宿いにしえのあかり』では過去の作品を設置するのみですが、青木竹灯籠の会が活動を再開する日を楽しみにしています。

福津研修#2~クロスロードゲームで学ぶ多様性~

福津研修#2~クロスロードゲームで学ぶ多様性~

文=服藤悠一郎 写真=末本圭子

7月7日、今宿校区の研修旅行で福津市にお邪魔しました。そこで、福津市男女共同参画室の皆さんと体験したのが、クロスロードゲームです。クロスロードゲームとは、カードを使った防災ゲームです。災害時に選択を迫られる状況を想定して、様々な当事者の立場で自分自身の判断を下し、互いの判断と理由を他の参加者に共有します。

なぜ男女共でクロスロードゲームなのか。それは、災害時の判断に正解がないからです。正解のない問を通じて、自分自身や他者の思考のクセを認識し、多様な立場に配慮した行動を学ぶことができます。

第1問はこちらでした。

「一人暮らしの高齢者の立場で、災害時に、行政からの避難指示と、家族からの外出自粛要請のどちらを優先するか」

避難指示が出る状況というのは、感染して死亡する可能性よりも災害で死亡する可能性の方が高い状況であると考え、私は避難指示を優先して避難すべきと判断しました。

この問題についてグループの皆さんと意見を出し合うと、両方の結論が挙がり、さらにその理由も様々でした。皆さんの意見を伺う中で、問題中の立場や状況に関連する経験がある人生の先輩方ほど、配慮すべきと考える項目が多く、我が事として悩まれているように感じました。また私の意見についても、生命は何より大切であり、特にたとえケガをしても病気になってでも生き延びることを優先すべきである、という価値観が、思考の前提にあったことに気が付きました。

どんなに合理的な思考も、一人一人の価値観を実現する手段であり、その価値観の存在に自分では中々気付かないもののようです。日常生活はもちろん、困った時ほど協力が必要な社会だからこそ、お互いの立場と価値観を意識し配慮する努力が大切だと感じました。

福津研修#1〜男女共同参画の視点から学ぶ

福津研修#1〜男女共同参画の視点から学ぶ

2022年7月7日、今宿から福津市へ視察研修が行われました。主催は、今宿校区男女共同参画部会(会長 松本真理子)で、参加者は部会の委員に加え、自治協役員、公民館、今宿プロジェクトの九大生など約30名。コロナ禍の影響で2年にわたり、2度の延期を経ての実現となりました。

松本会長は「女性の考えが地域に反映されることをめざして、学び続けています。」と今宿での活動を紹介。

今宿校区自治会長吉村さんは「今宿は、人口は増えているが、二極化している。今後のまちづくりが課題。女性と男性が協力し合っていかないと難しい世の中になっている。今宿校区のためになるように、福津から学んでいきたい」とあいさつ。

福津から学ぶ

福津市ふくとぴあで、福津市の男女共同参画室地域推進委員、ふくつ男女共同参画協議会「綸りん(りんりん)」、市民ボランティア団体「ふくつながり」のそれぞれの成り立ちや活動が紹介されました。
「綸りん」は、福岡県内で、災害対応カードゲーム教材「クロスロード」の講師を務めています。
ふくつながりは、100人女子会&ふくつマルシェなどを開催し、男女年齢を問わず、幅広い人や、コト、モノとつながりたいという思いで活動しています。そこから、「子育ち応援隊」「居場所づくり」「稼ぐまちづくり」などのグループが誕生しています。

今宿からの参加者は小グループに分かれて、各グループに「綸りん」のメンバーが進行役に入り、にぎやかに、そして気づきの多いクロスロード体験をしました(詳しくは、別記事)

その後、津屋崎千軒へ。地元のガイドさんの案内でまち歩き。
「藍の家」、古民家再生の雑貨店、歴史のある筑前津屋崎人形巧房、豊村酒造、新泉岳寺四十七士の墓碑を巡りました。その後、宮地嶽神社に参拝。(まち歩きについては、別記事)

ブーメラン教室

ブーメラン教室
〜今宿プロジェクトと今宿小学校PTAの協働企画

2022年6月4日(土)今宿小学校体育館でブーメラン教室が開催されました。

今宿プロジェクトと今宿小学校PTAの協働企画で、講師は九州大学iTOP(アイトップ)科学教室の9人の大学生でした。2部にわかれて合計50名以上の児童が参加し、地元の中学生2人もサポーターとして手伝ってくれました。

自作のブーメランを掲げる子どもたち
iTOP科学教室の大学生と中学生サポーター

講師は九州大学iTOP科学教室のメンバー

iTOP科学教室代表の藤江勇仁さんは九州大学理学部物理学科2年生。

「かんたんで楽しみながら学べる教室をやっています。ぼくらも楽しんでやりたい」と子どもたちにあいさつし、テーブルごとに大学生が子どもたちのサポートに入りました。

iTOP科学教室代表の藤江勇仁さん

ブーメランの歴史としくみを知る

「ブーメランは何のために使われていたと思う?」の問いかけに始まり、狩りの道具だった歴史を知りました。「投げてみるよ、何に気づくかな?」投げると弧を描いて手元に戻ってくる紙のブーメランに、子どもも保護者も興味津々。 ブーメランをかたむけると、上向きパワーが横向きパワーに変わり、それがブーメランが戻ってくる秘密だと知りました。

機械航空工学科修士1年の石田匠さんによるクイズと実演

ブーメランを作成し、飛ばしてみる

3本の厚紙をホチキスで留める
3本のはねに、ゆるやかなカーブをつける
ブーメランを飛ばす  かたむき加減に工夫がいる

それぞれの想い

体験活動を見守る保護者の方々の感想をききました。

「うちの子どもは、もともとものづくりが好きなので、このような体験があれば、遊びに行くよりはこちらを選びます」

「子どもがいきたいと言ったので参加しました。時間が合う時はこれからも連れて行ってあげたいです」

「こういう機会はあまりなかった。男の子なので興味があるかも、と親の方が乗り気でした。子どもも行ってみようかなと言ったので、参加しました。大学生と関わることはふだんないので、それもいいなと思いました」

「4年生の息子は科学クラブに入っています。将来、何になるかわからないけど、今興味をもっていることはいろいろ試したらいいのかなと思います。このようなことは、たくさんやってほしいです」

だんだんコツをつかむ子どもたち

講師の大学生の感想です

「大学生になってから子どもたちとの関係が遠くなったと感じています。それで、小中学生との関わりに関心があります。今宿の地域の人とも関われる機会になりました」

「作って飛ばしてみる体験は、子どもたちが楽しんでいて、その姿を見ることができるのでいいなと思います」

うまくブーメランが戻ってきた時、「今の見た?」と自慢げに親の方をふりかえる子どもの姿がありました。 また、教えてくれた大学生と子どもが「やったね」とハイタッチする光景も見られました。

身近なところで、子どもとおとなと大学生が、学び、交流する機会となりました

ブーメラン教室

ブーメラン教室

ブーメラン教室

ブーメラン教室

ブーメラン教室

今宿で、野枝に学ぶ

今宿で、野枝に学ぶ

3月18日に、今宿の地を訪れました。明治期の、婦人解放運動家で知られている伊藤野枝の墓石を見に行くためです。

写真・文=村社菜々子

きっかけ

大学で催されたイベントがきっかけで、野枝に興味を持ちました。昨年の10月頃に、作家の村山由佳さんの講演会があり、課題本として扱われたのが『風よあらしよ』でした。伊野枝の出身地が今宿であると聞き、いつか訪れてみたかったのです。

↑村山由佳さん作、野枝を主人公とした小説『風よあらしよ』

昨年の12月後半、友人らと叶岳を訪れました。インターネットで検索したところ、この山の中に、野枝の墓石があるとの情報を得ました。二時間ほど山の中を歩き回りましたが、見つかりませんでした。その日は泣く泣く諦めて、カキ小屋でお昼ご飯を食べて帰りました。

↑叶岳の5合目あたりから見えた、今宿の景色

リベンジ

横川さん(※今宿プロジェクトの立ち上げメンバーで、当時九大法学部4年)にご紹介いただいた郷土史家の大内さんのご協力により、墓石のある場所を案内していただけることになりました。大内さんによると、野枝の墓石は叶岳ではない、別の山奥にあるとのことでした。

JR今宿駅から車で10分ほど、ローソン今宿大塚店へ。そのすぐ隣にあった曲がりくねった細い道を進んでいきました。車の窓から見る景色は次第に緑が増え、道も狭くなっていきました。

たどり着いた山奥のさらに奥へと進むと、舗装された道から外れた目立たない場所に墓石がたたずんでいました。山は赤土で覆われていたためか滑りやすく、靴は落ち葉だらけに。直垂海岸を見ることができる場所にあると本に書いてありましたが、周りは木が茂っていて、海を拝むことはできませんでした。

↑ついに、墓石とご対面

墓石の周りには古墳があり、大内さんによると400~500もの古墳が眠っているそうです。

古墳だけでなく、イノシシを捕獲する罠もどこかに埋まっているそうです。

↑墓石のすぐ近くにあった、古墳らしきもの(落ち葉で分かりにくいが、少し地面がへこんでいる)

 おわりに

女性の解放を、100年も前から主張していた野枝に対して、尊敬の念を抱きました。一方で、記念碑や看板といった目印になるものが少ないことが不思議でした。全国から訪ねてきても、見つけることができずに帰ってしまう人も多いそうです。

野枝の没後100周年という節目に、今宿を訪れて野枝に学ぶ機会に恵まれ、嬉しく思います。このご縁を大事に、筆者も少しずつ発信をしていこうと思います。

復活継承してきた今宿青木獅子舞〜それを支える人々

復活継承してきた今宿青木獅子舞〜それを支える人々

写真・文 末本圭子         取材協力 柴田理香

獅子舞の歴史は古く、約1300年前、高祖山の怡土城落成の時、青木地区の住民が獅子舞を奉納したのが始まりと伝えられています。戦後一度復活しましたが、後継者不足で途絶え、昭和50年に再復活しました。昭和52年、「福岡市無形民俗文化財」に指定され、今に続いています。

八雲神社の元旦の奉納
練習に集まった獅子舞保存会のメンバー

参加のきっかけ


復活させた当時のメンバーから地域の男衆に伝承してきました。そのためメンバーの大半は青木に住んでいる人で、親子3代で参加している人もいます。

メンバーのひとり藤井さんは、「サラリーマン生活が終わり、青木に戻ってきた時に、町内のことをほとんど知らないなと気づいた。青木の親善スポーツ大会で獅子舞を見て、びっくり。こんなのがあったのか!地元に溶け込むなら、これをやってみたいと思った。妻の勧めもあった。」と参加の動機を語ります。

上原文兵さん(35歳)は、「縁でしかない。結婚した妻は青木出身で、義理の父は獅子舞保存会のメンバー。自分も小さい頃から獅子舞を見ていたし、無形文化財を保存する活動はおもしろそうだと思った。」と言います。
後からもうひとつの動機を聞きました。「獅子舞保存会のメンバーは、自分が小学生の時にソフトボールを教えてくれた地域のお父さんたち。お世話になったので、今度は獅子舞で貢献できるならうれしいと思い、引き受けた。」
上原さんは、22歳まで青木で育ち、今は東区在住。毎月、獅子舞の練習日に合わせて青木の実家に帰省しています。「今宿は住みたくなるまち。いつかは帰ってこようと思う。」と語ります。

笛の練習をする上原さん

今宿小学校で体験学習

今宿小学校の3年生には平成12年から毎年、獅子舞を披露して、子どもたちにも実際に体験してもらっています。体験後、「これからもやりたい」という3年生の男の子が練習に参加するようになり、その子のお父さんもいっしょに入会しました。

活動内容

八雲神社の元旦奉納、老人ホーム等約10カ所を慰問(元日)、今宿小学校での体験学習、など地元での活動とともに、平成25年のWBC(ワールドベースボールクラシック)福岡大会レセプション出演など、多い年は、19公演に及びます。

そのため、新しい人が入ってきても覚えられるように、20年前から毎月練習するようになりました。

継承

3代前の会長 久保矯志(ためし)さんがセリフを文字に起こしてくれて、それを継承しています。それでも、「あやとり」「鬼女」の2演目は、セリフや曲がわかる人はもういなくなってしまいました。

1951年(昭和26年)獅子舞集合
2015年八雲神社にて

舞うことの難しさ

獅子の頭は重さ8キログラム。獅子のたてがみを振りまわし、胴体の3メートルの布を引き上げるので、それ以上の重さに感じるそうです。
獅子頭と尾の呼吸を合わせるのが大変で、合っていないと獅子(の胴)が折れたり、胴布が無駄に突っ張ったりして力を消費してしまいます。獅子が折れるのは、一番見苦しいそうです。尾の方の人は、頭を下げたまま、腰を曲げた姿勢で、獅子頭の人と距離感を保つことになります。頭をあげて、ラクダのこぶのようになっては大変。
年長者がいっしょに駆け回り、若い人も息を切らして何度も動きを確認していました。

青木の集会場にて練習風景
20年以上獅子頭を務める渡辺清嗣さん

地域の文化を継承する活動に関心がある方は問い合わせてみてはいかがですか。

問い合わせ先

今宿青木獅子舞保存会  会長 柴田康幸
            TEL 092-806-6000
携帯 090-8834-8328

地域の伝統を受け継ぐ子どもたち ~今宿・玄洋子ども太鼓~

地域の伝統を受け継ぐ子どもたち ~今宿・玄洋子ども太鼓~

体育館いっぱいに響く太鼓の音。「今宿・玄洋こども太鼓」の練習が、今宿青木の西部ガスの体育館で行われています。

ここ2年あまりは、コロナ禍でみなさんに見てもらう機会がないまま、6年生は卒業していきます。12月の練習風景に立ち会いました。

始まり

「今宿・玄洋こども太鼓」の始まり。今宿纒太鼓のメンバーの子どもたちが、親の練習に同行していて、見様見真似で太鼓を叩き始めたのをきっかけに、子どもたちで太鼓チームを作ろうということで、平成7年に結成しました。

今宿纒太鼓とは

メンバー全員が福岡市西消防団 今宿分団の団員で、ポンプ操法大会の応援太鼓をきっかけに、昭和49年より、消防のイベントなどで活動しています。

纒(まとい)とは

長い棒の先に​​​​纒頭という飾りをつけて、その下に馬簾(ばれん)という房飾りを垂らしたもので、江戸時代の火消しの組の旗印になっていたそうです。現在でも、分団ごとにマークがあります。馬簾は、火の粉を払うということで、縁起担ぎの意味もあります。纒を振る時に、太鼓を叩いていたのが、今の纒太鼓の元になっています。

活動内容

主に、各町内の夏祭りや、今宿商工会祭り、徳正寺花祭り、今宿花火大会など、地域のイベントに出演しています。文化祭でダンスサークルとコラボしたり、福岡ボートのイベントや福岡市役所のイベントにも出演したことがあり、依頼があれば、どこへでも駆けつけます。西区まるごと博物館という西区役所のイベントにも毎年参加していて、今宿纒太鼓ともども、西区の宝として登録されています。

教えているのは

現在、子どもたちにボランティアで教えているのは、西消防団 今宿分団の団員で、今宿纒太鼓のメンバーである高木英和さん(今宿谷在住)です。

高木さん談

練習会場は、いくつか転々と変わりましたが、今は、西部ガスの体育館を借りて練習しています。太鼓の音はとても響くので、音が出ないようにラバーを被せて叩いたこともありましたが、ここでは思いっきり叩くことができます。今は男子が多いけど、一時期は、女子が多いこともありました。コロナ禍の今、発表する機会が少ないけれど、逆に、曲を覚える時間がたくさんあります。まず、声に出して曲を覚え、それから、バチでたたく練習に入ります。口で言えないと、みんなでたたいた時に合わないからです。

曲のレパートリーには、『海』、『仲間』、『瞬間(とき)』、『舞』、『美ら海』、『八木節』、『三宅』、『祭り』、『回帰』などがあります。

子どもたちより

6年生2人に話をききました。

「(太鼓の魅力は)みんなで最後に音がピシッと合った時の気持ちよさです」

「(太鼓を始めたきっかけは)谷の祭りで見て、かっこいいなと思って始めました」

小学生の皆さんに対しては、「気持ちいいし、かっこいいので、ぜひ、いっしょにやりましょう」とメッセージをいただきました。

【問い合わせ

練習は月に3回程度、土曜日に実施していますが、今宿か玄洋の各公民館にお問い合わせください。

会費はいただいてませんが、はっぴ、バチなどの費用は、入会時にいただいてます。(13,000円程度)