空への情熱は世代を超えて

空への情熱は世代を超えて

写真=末本圭子 文=石田匠

日本記録の樹立、そして激動の時代へ

10月から連続テレビ小説「舞いあがれ!」が始まりましたね。福原遥演じるヒロインが空に憧れ、パイロットを目指すストーリーです。今宿のおとなり徳永にも、空に魅せられた方がいるのをご存知ですか?九州航空宇宙協会の副会長を務める前田建さん(82)にお話を伺うと、そこには時代の波に翻弄されながらも親子二代に渡って飛行機製作に没頭した父と子の、知られざる情熱の物語がありました。

父:前田建一氏は明治36年に福岡市内に生まれました。小学生の頃から当時まだ珍しかった飛行機に夢を抱き、翼をつけた自転車で立ち木に衝突したというエピソードも。当時九州帝国大学工学部の学生だった佐藤博九大航空名誉教授と出会い、意気投合した2人は「九州航空会(現:九州航空宇宙協会)」を設立し、空に夢を抱く若者たちと共にグライダー製作の道を歩み始めます。

グライダーとは動力を持たない飛行機であり、トビのように上昇気流を捕まえて空を舞います。長く飛ぶためには設計に極限の工夫が求められ、前田氏を虜にしました。圧倒的な熱量をもって設計した「前田式703型」は昭和16年に13時間41分飛行し、飛行時間の日本新記録を樹立しました。しかし純粋な記録への挑戦としての意味合いが強かったグライダーにも、時代の波が押し寄せます。彼らの技術力は陸海軍に評価され、軍需産業の一端を担います。現在九州航空宇宙協会の工房がある徳永で作られたグライダーは、新米操縦士が戦闘機に乗る前の訓練機や、戦地での輸送手段として用いられました。飛行機工場の隣には元岡飛行場があり、操縦訓練や試験飛行に使われていたそうです。

前田式703号

戦後、晩年は若者たちの空への夢を掻き立てることに尽力しました。心臓が弱りながらも高校生と人力飛行機を製作して世界記録に挑み、昭和44年に初飛行に成功した翌年、この世を去りました。戦前、戦中、戦後と飛行機に求められる役割が大きく変化する中でも追い求め続けた空への熱い想いは、数多くの学生や航空技術者、そして息子:前田建氏に引き継がれる事となります。

受け継がれた空への夢

前田建一氏の息子:建さんは昭和15年に生まれました。少年時代の父が飛行機に自らの夢を託したのとは対照的に、幼い頃の建さんにとって飛行機は戦争の道具でした。昭和20年の福岡大空襲の時に、戦火の中で見上げたアメリカ軍のB-29の姿が脳裏に焼き付いていると言います。程なくして終戦を迎えますが、GHQより航空機の研究や製造を禁止される「航空禁止令」が下され、父の工場の機体や設計図は全て焼き払われてしまいました。

夜明けは昭和26年に訪れます。父は航空禁止令解除と同時に、九大航空学科の教授となった佐藤先生と西日本航空協会を設立し、グライダー製作を再開しました。建さんは父の航空機製作の熱量に圧倒されつつも、作業を手伝ううちに技術が身につきました。その後海洋土木会社に就職した建さんに転機が訪れたのは平成11年の事でした。青森の航空史料館に展示する機体「航研機」の復元作業を手伝って欲しいとの声が掛かったのです。機体を全て金属やカーボンで作るのが主流の現代において、航研機の特徴である布張りの翼を復元できる人は建さんしかおらず、白羽の矢が立ちました。これを契機に、退職後は様々な名機の復元作業に専念します。作業場には空に魅せられた男たちが集い、平成15年には人類初の動力飛行に成功したライト兄弟の「ライトフライヤー号」を復元させます。 

また現在、建さんは子ども達に飛行機の奥深さを伝える活動に取組んでいます。今夏福岡市科学館で開催された「ヒコーキ展」では、主翼のリブという部品を子ども達とつくるワークショップを、3ヶ月に渡って開催しました。と語ります。

ドローンや電動飛行機など空の乗り物は多様化する一方、日本で航空技術者が活躍できる場面は必ずしも多くないのが現状です。空に夢を抱き、飛行機を自分の手で作りたいと思う若者が増えて欲しいと願っています。

前田さん親子が二代に渡って撒いた種が、空を目指す子供達の夢を後押しし、いつの日か彼らの作った飛行機が大空を舞う日が来るといいですね。

自作のリブを持つ前田建さん

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