復活継承してきた今宿青木獅子舞〜それを支える人々
写真・文 末本圭子 取材協力 柴田理香
獅子舞の歴史は古く、約1300年前、高祖山の怡土城落成の時、青木地区の住民が獅子舞を奉納したのが始まりと伝えられています。戦後一度復活しましたが、後継者不足で途絶え、昭和50年に再復活しました。昭和52年、「福岡市無形民俗文化財」に指定され、今に続いています。


参加のきっかけ
復活させた当時のメンバーから地域の男衆に伝承してきました。そのためメンバーの大半は青木に住んでいる人で、親子3代で参加している人もいます。
メンバーのひとり藤井さんは、「サラリーマン生活が終わり、青木に戻ってきた時に、町内のことをほとんど知らないなと気づいた。青木の親善スポーツ大会で獅子舞を見て、びっくり。こんなのがあったのか!地元に溶け込むなら、これをやってみたいと思った。妻の勧めもあった。」と参加の動機を語ります。
上原文兵さん(35歳)は、「縁でしかない。結婚した妻は青木出身で、義理の父は獅子舞保存会のメンバー。自分も小さい頃から獅子舞を見ていたし、無形文化財を保存する活動はおもしろそうだと思った。」と言います。
後からもうひとつの動機を聞きました。「獅子舞保存会のメンバーは、自分が小学生の時にソフトボールを教えてくれた地域のお父さんたち。お世話になったので、今度は獅子舞で貢献できるならうれしいと思い、引き受けた。」
上原さんは、22歳まで青木で育ち、今は東区在住。毎月、獅子舞の練習日に合わせて青木の実家に帰省しています。「今宿は住みたくなるまち。いつかは帰ってこようと思う。」と語ります。

今宿小学校で体験学習
今宿小学校の3年生には平成12年から毎年、獅子舞を披露して、子どもたちにも実際に体験してもらっています。体験後、「これからもやりたい」という3年生の男の子が練習に参加するようになり、その子のお父さんもいっしょに入会しました。
活動内容
八雲神社の元旦奉納、老人ホーム等約10カ所を慰問(元日)、今宿小学校での体験学習、など地元での活動とともに、平成25年のWBC(ワールドベースボールクラシック)福岡大会レセプション出演など、多い年は、19公演に及びます。
そのため、新しい人が入ってきても覚えられるように、20年前から毎月練習するようになりました。
継承
3代前の会長 久保矯志(ためし)さんがセリフを文字に起こしてくれて、それを継承しています。それでも、「あやとり」「鬼女」の2演目は、セリフや曲がわかる人はもういなくなってしまいました。


舞うことの難しさ
獅子の頭は重さ8キログラム。獅子のたてがみを振りまわし、胴体の3メートルの布を引き上げるので、それ以上の重さに感じるそうです。
獅子頭と尾の呼吸を合わせるのが大変で、合っていないと獅子(の胴)が折れたり、胴布が無駄に突っ張ったりして力を消費してしまいます。獅子が折れるのは、一番見苦しいそうです。尾の方の人は、頭を下げたまま、腰を曲げた姿勢で、獅子頭の人と距離感を保つことになります。頭をあげて、ラクダのこぶのようになっては大変。
年長者がいっしょに駆け回り、若い人も息を切らして何度も動きを確認していました。



地域の文化を継承する活動に関心がある方は問い合わせてみてはいかがですか。
問い合わせ先
今宿青木獅子舞保存会 会長 柴田康幸
TEL 092-806-6000
携帯 090-8834-8328